magatamamo’s diary

じむいんの じむいんによる じむいんのための+α

エビチリにくし切りの玉ねぎを入れたくない人の心理

 

実家暮らしの私は、皆の分(と言っても三人前)の晩御飯を

母親と共同で作ったり、

私一人で作ったり、

母親ひとりでやってくれることもあります。

父親はお箸とコップを食卓に並べる係です。

 

その日はエビチリを作る予定でした。

スーパーで売ってる「エビチリのもと」を使います。

 

我が家のエビチリにはいつもくし切りにした玉ねぎがエビと同量くらい入っていました。私はくし切りにした玉ねぎを入れたくありませんでした。

 

さあ作るぞと「エビチリのもと」の裏面の手順書をみました。

するとみじん切りにした長ネギを入れるように書いてありました。

くし切りにした玉ねぎを入れるとは書いてありませんでした。

 

私は、やったあ。くし切りの玉ねぎを入れないタイプのエビチリだ!と思いました。



しばらく私がエビチリの支度をしていると、

途中から母親が玉ねぎを持って現れました。そしてその玉ねぎをくし切りにしだしました。

 

母親の頭ではもうくし切りの玉ねぎが当たり前になっているのです。

 

 

私は「裏面のレシピにはくし切りの玉ねぎを入れるようになってないよ。玉ねぎ入れるの?」といいました。

 

母親は「玉ねぎ入れるとおいしいよ」と言いました。

 

私は「みじん切りにした長ネギを入れるよ。それでも玉ねぎを入れるの?」

と言いました。

 

私の長所か短所か。「入れたくない」とは言わずに相手の遠慮を誘うようしつこく仕向けるところがあります。

 

 

他にも私はエビを剥きながら天を仰いで「玉ねぎ……入れるようになってたかねぇ」とひとりごとを唱えたりしました。

 

しばらく聞いていた母親はもう一個切ろうとしていた玉ねぎを床に投げつけました。投げられた玉ねぎはバウンドしました。

 

「入れたくないんでしょう!」

「言い方がいやらしい」

「あんたも料理に加勢するようになったら、こだわりが強くなって嫌だね!」

「ひとりで好きに作りなさい!」

「でも既に私が切った分は入れなさい!」

 

そして居間に寝そべってテレビを見始めました。

 

なので、くし切りの玉ねぎは少量ですが入れました。

 

今回は引き分けです。

 

 

理由考察

 

私は決して玉ねぎが嫌いなわけではないのです。なんなら加熱した玉ねぎは好きな部類です。

なので、なぜいれたくないのか真剣に考えてみました。

 

エビはぷりぷりな食べ物

エビチリを食べた芸能人はぷりぷりですね。と食レポする。

そう、エビはぷりぷりの食べ物なのです。

 

ネギを同時に口に含むと、おなじみのねぎのしにゃりしにゃりが同梱してしまうのです。

ぷりぷりとは共生しえないのです。



手順書の裏のみじん切りの長ネギにはエビの触感を邪魔しないという明確な意図がありました。しかし、くし切りの玉ねぎはカサ増しなのです。

 

くし切りの玉ねぎ入りエビチリを出された私たちは、 

ぷりぷりのエビを食べるために、無意識のうちにエビとネギを交互に摂取していた。同時に口に含むことは決してなかった。

 

くし切りの玉ねぎは心の負債

また、みんなで同じ皿の料理を箸でつついている以上、玉ねぎも同量食べないと他の人にしわよせがいってしまう。えびをたべた次のターンでは玉ねぎを口に含まないといけないという、ねばらなない思考。心の負債。

 

私はエビチリにくし切りの玉ねぎがはいっているがために、エビチリを心から楽しめていませんでした。




叶うなら、エビを口に含んで咀嚼して飲み込んだら、またエビを口に含んで、エビを口に含むという贅沢がしたい。

 

口の中をエビでいっぱいにしたい。




野菜の接種が目的というのなら、野菜スープ沿えればいいと思う。

 

金銭的な問題なら、食卓に出す頻度を下げればいいと思う。

エビチリの品位を下げたらだめだと思う。

 

そう願うばかりです。

 

今回のエビチリは普段より美味しく食べられました^^