magatamamo’s diary

じむいんの じむいんによる じむいんのための+α

ハッピーバースデー / 肺水腫の最後

 

うちの犬

 

馴れ初め


10年くらい前に一番下の妹が
里親募集サイトで見つけたヨークシャテリアでした。

 

小型犬であるヨークシャーテリアにしては、身体が中型犬並みに大きいです。
またネットで画像検索した時のヨークシャーテリアは目と鼻の間が短く、丸みを帯びてテディベアのような顔つきをしていますが、うちのはオオカミや他の犬のように、鼻がなんか長いです。

 

しかし元の飼い主さん曰く
「純種です。ヨークシャーテリアは歴史的に見れば百年ちょっと前くらいに出来た新しめの犬種で、歴史が浅いので、ときたまこういった先祖返りのような規格外なのが生まれます。」

ということでした。

私たちはヨークシャーテリアが欲しいのではなく、室内で飼えるサイズの犬を探していたので「ふーん」と言ってその犬をもらいました。

 

家に引き渡しの当日に、元の飼い主さんから

「ちょっと手違いがあって、プロフィールには8ヵ月と書いてありましたが、実際は1歳4ヵ月でした。」

と言われました。

 

どんな手違いかわかりませんが、サバ読まれたなあと思いました。

 

名前はヨーチャン



性格


人に抱っこされるのを嫌がることなく、呼べばしっぽを振って寄って来るなど、家犬として十分な才能がありました。

 

普段は皆がいるリビングにいます。説教・喧嘩・もめごと等が嫌いで、リビングの空気がちょっとでもぴりつくと察知して別の部屋に逃げていきます。

 

また、飼いはじめのときに「お手」や「おかわり」「ふせ」など、基本的な犬作法はマスターさせましたが、人間が手に餌をもっていないと知ると出そうとした「お手」を出し惜しむような犬です。

近況


心臓の数値が悪いらしく動物病院でピンクの薬をもらい毎日与えています。


今日4/14

深夜1時40分、犬がゼエゼエ苦しそうにする音で目が覚めました。
よさそうな姿勢にしたり抱っこてあげたりするも改善しませんでした。
朝になってもそれが続いていました。

 

呼吸が苦しい!それしかできない!みたいない感じだった。
他の姿勢だと苦しいようでお座りの姿勢を崩しませんでした。


動物病院は日曜でも午前までは受け付けているので、
営業開始時間に合わせて母と一緒に連れて行くことにした。

 

行きつけの動物病院

受付をすると10番目になりました。

病院の待合室は嫌いで、いつも心労があるような感じだったので、
だっこして病院の近所を練り歩いたが、犬はそれどころじゃなかったようです。

ずっとハアハアよだれデロデロでした。

 

診察の番になりました。診察台に犬を置きました。

その姿は明らかにどう見たって死にそうなのに、犬はぜえぜえ苦しそうなのに

「まず話聞きますね~」といってパソコンをいじりだした女医。

 

ひとめでも犬をみろ!さっさと触診しやがれ!

 

母もその、まずの話を長引かせる。
「今日の深夜から~…咳がひどくなって~…昨日まで元気だったのに~…」

「息してねえ!」の一言で終わるのに

 

犬を見ろ馬鹿ども

 

そんなことをしている間に限界が来たようで、診察台の上で犬は横転しました。

歯を剥きだしにして「きゅ~~~~~~」と鳴きました。

 

女医が引っ込んで男が出てきました。

 

男は

「音を聞いただけでわかります。肺に水が溜まっています。息が吸えてないです。」

と言って犬を奥に持っていきました。

事を急ぎつつも冷静でどっしりとした態度でした。

 

私は、生きるも死ぬもこの医者になら任せる、と安堵しました。

 

待合室で私は涙を溜めて黙っていました。
横で母は「水を抜けば助かるかも」「犬は自分の死期がわかるっていうしね」
有事のときにべらべら喋るのは嫌いです。

母は五度も私の顔を覗き込みました。私が泣いているか確認していました。
私は低い声で「無神経」とつぶやきました。母ごめんなどど言ってどこかへ行きました。

その間に、先ほどの男の医者に再度呼ばれて、一人で状況の説明を聞きました。

 

医者の説明と選択

「いまは病院の酸素室にいる。」

「外に出すとすぐにでも死ぬ。」
「肺に水がたまる病気のことを肺水腫といって、心臓に問題のある子は遅かれ早かれ肺水腫になる。」
「最近毎日飲ませていたあのピンクの心臓の薬は、それになるのを少しでも遅らせるための薬だった。」

「肺にたまった水を出すよう促す注射は打ったが、効かない子もいる」

「病院に泊めてもいいが、その間に亡くなる可能性も高い。夜の病院は無人

 

私は、病院が閉まるまで、預かっていてほしい。それまでに注射の効果とか経過がわかるだろうから、そこでまた判断したい言いました。

 

5時まで預かってもらえることになりました。

 

預けるための同意書を記入して受付の人に渡しました。
私「先週、5月からのフィラリアの薬まとめ買いしちゃったんですけど、今日明日の命といわれちゃったんですけど、返品とかってできないですよね」(^O^)
これは私のイキりです。

受付の人は「あ~~。できないんですけど一応院長に言ってみますね…」と苦笑いをしていました。

 

置いて帰る


犬を置いて2人で一旦家に帰りました。
母は家に帰りつくとすぐに線香をたいて仏壇にお祈りしていました。

「安らかにそちらに導いてください。」

病院の受け答えをまともにできなかったくせに。拝み倒すだけ熱心なことだ。

還暦を過ぎた化粧っ気のない女が少女のように拝む姿を気色悪いと感じました。


わたしは、こんなことになると思ってなかったので前もって予約していた隣駅の縮毛矯正に行きました。

 

縮毛矯正の第2剤を塗ってもらってる辺りで、病院から電話がかかってきました。

「結構危ない状況なので最後を一緒に過ごしたいなら5時を待たずに引取りに来た方がいいんじゃないか」と言われました。

 

理容師さんに「毛量多いですね矯正後も、ちょっとすきましょうか」と言われて「お願いします」といったけど、すみません急ぎの用事が出来たので今日は縮毛だけで大丈夫ですと言いなおしました。

 

同じように病院から電話を受けた父と母がわざわざ隣駅まで私を車で迎えに来ました。

3人で病院に向かいました。


医者の説明と選択2


3人で状況を聞きました。

「通常24%とかでつかう酸素室の濃度を40%に設定しているが、呼吸は全く改善しない。」「肺の水を抜く注射を2度したが、効果は無かった。」

 

そして獣医さんは私達を犬のいる奥の部屋へ通してくれました。

ガラス張りの酸素室の中にいる犬を眺めながら、どうするかを考えました。

 

犬はけっこうやつれていました。うるうるおめめの宇宙人のようでした。

相変わらずハアハアしていました。きつそうにもかかわらず私たちを認識したらガラス扉をトントンしたりこっちをみたりしていました。

 

「死ぬ直前まで息が吸えるように、数分でも長く生きられるように、病院の酸素室に取り残すか」

「少し死期が早まっても自分たちの手元で死なせよう!と言って引き取るか」

大雑把に言うとこの2択でした。

 

なんとなく多数決

父:引取り派(理由:不明)
母:置いて帰る派(理由:夜中まで世話を焼くと明日の仕事に差し支えるため)
私:引取り派(理由:ガラス扉をトントンしていたため)


多数決で引き取って帰ることにしました。

父は獣医さんに「簡易な酸素室ないの?」など聞いていました。厚かましいお願いだとおもいました。引き取るって言ってんだからこれ以上の延命なんてできるわけないのに!と内心思っていました。

 

簡易な酸素室


父のむちゃぶりに応えるために獣医さん2人が策を練ってくれました。

 

獣医さんたちの策


病院は移動用のケージを無料貸し出ししています。
そのケージを大きなポリ袋に入れて、
そのポリ袋の中に病院の酸素生成機の酸素を袋につめる、というものでした。


そうして、簡易な酸素室ができあがりました。

そしていよいよ病院の酸素室から犬を取り出して簡易な酸素室のほうに入れました。

会計をすませて、病院や獣医さんたちに、何度もありがとうございます。といいながらケージの犬を積んで帰りました。

 

後部座席の左に犬のケージ。右に私が乗りました。

ケージ中の犬を見るとやっぱりハアハアをしていました。

 

おかえりなさい

 

家について移動用ケージを居間に置きました。

簡易酸素室の封を切りました。ケージの扉を開け、犬が出てきました。

「おかえりなさい」と言いました。

犬は触ろうとする皆の手をすり抜けてトコトコと仏壇の前の座布団に腰を下ろしました。

 

「そうだ、せっかく家に帰れたんだ安静にしたいんだ」

 

みんな抱っこせず上からちょっとだけ撫でました。
それから犬はうつぶせになりました。

ずっとしていたぜえぜえの呼吸が小さくなりました。

そのあと血の混ざった水を口から出して、そのまま死にました。

帰って数分以内の出来事でした。

 

病院から家まで片道10分です。
もし、簡易な酸素室がなかったら、犬は家に帰り着く事ができなかったでしょう。

父の無茶な要求も、営業時間外なのに尽くしてくれた獣医さんたちにも感謝です。

 

仏壇前の座布団は、犬のよく座るいくつかの場所のうちの一つでしかありませんでした
私は、母のおかげで犬は本当にご先祖様に引きとってもらえたんだと思いました。

 

 

私が小馬鹿にした両親の行いはすべてヨーチャンのためになっていたのです。

反対に私はカッコつけてばかりでした。私は誰にも敵わないと思いました。

 

11年間生きてきて、苦しんだのはたったの1日でした。

縮毛矯正中に今日が犬の誕生日だったことを思い出した際には思わず泣いてしまいました。

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この写真は2年くらい前の元気な時のだから安心して眺めてね